良い旅を

旅と珈琲、読書を偏愛する者。

大問題にぶち当たったら問題解決能力より問題受容能力が問われることに気付いた

これは自分に向けた文章です。ただ、もし同じような境遇、不遇に立たされている人に届けば嬉しいなと思って書いてもいます。

僕はこの半年死んでいました。

もちろん、肉体的にではなく精神的にです。

僕は自己肯定感が非常に高い男です。一般的にネガティブな出来事が起きても、捉え方ひとつでどうにでもなると思っていました(今でもその思いは変わりませんが笑)。

buen-viaje.hatenablog.com

実際夏前にこんなエントリを書きました。今でも自分の思考法としてこのエントリに書いたことと変わりありません。

そして、一人でも生きていけると自負しておりました。

好きな本とノートとペンさえあれば、誰もいない無人島でも思索にふけることができる。

でも、どんなにポジティブに捉えようとしても、ダメだったんですね。

自分では普通だと思っていたんですが、まわりからすると気丈にふるまっていることがバレバレ。最近どうかしたの?と、会う人会う人に心配される始末。

そこで、すぱっと自分の悩みを告白できたらよかったんですけどね。

いや、むしろそこで他人に言えないからこそ不調に陥っていたわけです。

 

 そもそもの大原則として、人を破滅させるのは「1回目の失敗」(浮気、投資や事業の失敗など)ではなく、「2回目の失敗」(それを誤魔化そうとする行為)である、ってことをみんなよく覚えておくべきだよね 。

ちきりんの他眼思考より

そこからは負のスパイラルでした。

一度言えなかったことが、次のタイミングで言えるわけもなく。

課題を抱えたときに、初動で動く大切さを身に染みて思い知りました。

 

人が精神的に不調に陥るときって、どんな時だろう。

身内や友人の不幸、仕事がうまくいかない、対人関係でのストレス。

人それぞれに不調の要素は違うでしょう。

でも、不調になる段階はどこも似通っていると思います。

それは、目の前にある問題が自分の制御可能な範疇を大きく超えたときです。

電通で起きた過労死事件。自殺に至った原因を単純に長時間労働とするのは安易過ぎるという意見が散見されます。

そして、下のエントリを読んで僕はかなーり納得しました。

blog.tinect.jp

制御可能な範疇を超えるときって2種類あって

1.個人で解決可能な課題であり、自分の能力が足りない時

2.課題に利害関係者が複数存在して、自分一人の行動じゃどうにもならない時

ぼくが死んでた理由は後者でした。

自分一人じゃどうにもできないにもかかわらず、一人で思い悩んでいました。それじゃ前に進むことも、状況が好転することもありません。

長いどん底から抜け出すことができたのは、勇気を振り絞って友人に相談したことでした。その対話を通して、解決策が提示されたわけではありません。でも、自分の中で問題がうまく整理されました。久しぶりに人目をはばからずに泣いてしまいましたね。彼が僕のことをどのように思っているかわかりませんが、「自分は一人じゃない」、「応援してくれる仲間がいる」ことを実感したことがデカかったです。

生き返ったと冒頭に書きましたが、今回死ぬほど悩まされた課題を解決したわけではありません。

自分の心持ちに変化が現れて、大きな課題と捉えないようになったために回復しました。

今回自分に起きたことは、まあ例えるとこんな感じです。

突如として自分が進むつもりだった道に富士山級の山が現れた。山は動くことはありません。だから、山はあるもの捉え、迂回するなり登るなりして、山の向こうにたどり着かねばなりません。

僕は突如として現れた山にびっくりして、山の前で止まっていたような状態でした。

でも、今回友人との対話を通して、目の前に存在する山の存在を心の底から受け入れることができたんですね。山を登る覚悟ができたので、もう足を止める必要がなくなった。すると、一気に気が楽になりました。

 

長い人生、突如として予期せぬ問題が降りかかりこともあると思います。

自分の進む道を阻む石があれば端に動かせばいい(問題を解決すればいい)ですが、山が現れたら一旦立ち止まってしまうこともあるでしょう。

これまで培った価値観やプライドが、その問題を受け入れることを邪魔するかもしれません(ぼくがまさにそうでした)。でも、どんなに時間がかかっても、自分一人で解決することができないコントロール不可なものは、受け入れざるを得ません。

今回自分に新しい心の持ち方が生まれたのは、対話を通して他人の価値観にふれたことでした。自分にとって大問題は、他人の物差しではそこまで大きくないかもしれません。

他人に話をすることは、自分の頭の整理にもつながります。

何かに悩んでいる人がいれば、1cmでもいいから動いてみてください。

人に話すでも、いつもと違った非日常を体感するでも、読書をするでもいいです。

少しでも違った見え方ができればこっちのもんです。

どうしようもない問題を解決することばかりを考えていると、自分が疲弊していくだけです。ぜひ、その問題を受け入れる方向に目を向けてください。

問題解決能力より問題受容能力が大切なときもあるって知っているだけで、ちょっとは楽になる気がします。

 

 

結論も方向性もなく、ただつらつらを書いてみました。

10年後くらいにまた死ぬほど悩んでいる自分がいれば、このエントリを読み返して山の存在を受け入れろと感じてほしいです。

最後までありがとうございました。