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良い旅を

旅と珈琲、読書を偏愛する者。

走ることは脳内メモリに余白を作ること

久しぶりにジョギングをしてきた。海辺を10kmくらい走ってきたが、気分爽快だった。一時期継続的に走っていたが、ふとしたことでそれが途絶えてしまっていた。

そんな折、なぜ久しぶりに走ったかというと、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読み返して無性に走りたくなったからだ。

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

1時間くらいのランニング中に考えたことを忘れないうちに書き留めておきたい。

情報からの断絶が頭に余白をもたらす

ランニング中は情報が頭に入ってこない。入ってくるのは目に入ってくる景色くらいだろうか。

仕事、食事、風呂あがり、いつでもどこでも、テレビやスマートフォンから頭の中に情報が入る世の中になった。ちなみに、僕はこの情報過多の状況が悪いとは一切考えていない。時々刻々と情勢が変わる世の中になってきているのだから、インプットのペースと量を増やすことは合理的な選択と言える。

その一方で、自分の頭で情報を咀嚼する余裕がなくなってきているのも事実だ。人間は数千年前から大して変化を遂げていないというのが僕の持論だ。過去の功績に小さな上積みをすることで、文明は大きな発展を遂げてきた。紀元前の時代にはITも車も存在しなかった。だが、その違いが当時の人との脳のスペックの違いによるものかと問われると、それも違う気がする。だらだらと持論を展開したが、何を言いたいかというと、情報の流入速度に脳の処理速度が追いついていない。そして、脳のメモリがインプットした情報でいっぱいいっぱいになってないだろうか?

情報の質を議論する際に、パレートの法則(80:20の法則)は有効だと思う。

アウトプットの8割は仕入れた情報のうち2割から生まれる。

という表現ができる。

つまり、残りのインプットの大半は本来不要な情報ということだ。にもかかわらず、脳内メモリに書き込まれ、良質なインプットとごちゃまぜになったまま放置されている。

上記のような状態が、情報過多の時代の我々の脳内で起きている現象だ。

前置きがかーーなり長くなってしまった笑

脳内でごちゃまぜになったインプットを整理するのに、ランニングは最適だ。

ランニング中に新しい情報は入ってこない。

ロジカルに説明できるのは実はここまでだ。(笑)

東洋医学は精神と身体が密接につながっていることを前提として成り立っている。そして、まさにランニングはそれを具体的に理解できる手段だ。

無心に走る行為、身体を追い込む行為が、思考を整理させてくれる。

情報過多だった脳内メモリに、いつの間にか幾分の空きスペース生まれる。

余白が生まれるということは、不要な情報が消え去ったということだ。机に座って、情報の取捨選択をすることももちろん大切だ。しかし、あまりに多くの情報が目の前にあり戸惑っているときは、身体を動かしてみてはいかがだろうか?

「無心」に身体を動かすことで脳内から消え去った情報はきっと、あなたに不必要な情報であったに違いない。

情報の仕入れ方より、情報の処理方法に気を配るべき

情報過多の時代に必要なものは、否応無しに入ってくる情報に対して自分フィルターを持っていることだと思う。

適切な情報だけを頭に残す能力、不要な情報を捨てる能力が必要だ。

合理的な方法は、知性を身につけて、自分なりのものさしをもつことだと思う。

そして今回、身体を使って情報を処理するのも悪く無いと気付かされた。

旅に出て圏外に出向いて、デジタルデトックスをするのも良いだろう。

でも、もっと身近な手段として、ランニングをおすすめしたい。

情報を仕入れながら、手軽に脳内に余白を作ることが可能だ。

イメージとして、脳内に余白があることは、そこに良質なアウトプットを書き込めることを意味するのではないか?

 

これから、定期的にラニングをしたいと思った次第である。