良い旅を

旅と珈琲、読書を偏愛する者。

オシャレを目指すなら、身体をデザインするべき

最近お洒落に芽生えてきてしまった。
でも、一般に言うお洒落とは自分が目指す方向性は結構違う。

まず、服は極力持ちたくない。理想はザッカーバーグ。彼は同じ服を毎日きてて、クローゼットも同じ色のTシャツがずらっと並んでる。着回しがきくとか、いろんな服を持っていることは確かにお洒落だと思うし、飽きない気がする。でも、それって際限のない欲求に繋がるし、きりがない。お洒落をすることは、承認欲求を満たしたり、自分をよく見せたいことが根底にはある。自分をよく見せたいときに着飾るのって凄い便利だ。

ただ、自分をよく見せるのに1番最初に手をつけるべきは身体であるべきなんじゃないだろうか。服は飽きれば手離せれるし、言うならば一生の付き合いじゃない。一方、身体は死ぬまで自分につきまとうし(精神を主体に勝手に考えてた笑)、手を加えるべきは間違いなく身体の方である。毎年買い替える衣類には手ごろな値段を、何年も着るコートやジャケットには高い金を出す。したがって、死ぬまで共にしなければならない身体に最も投資をすることは、なんら矛盾することじゃないように思える。逆に、着飾って自分をよく見せることって一瞬で可能で、非常に楽だ。しかし、それは対処療法みたいなもので、自分をよく見せることに対しての最善の手段ではない気がする。もちろん身体は身長とか頭の大きさ足の短さなど、どうにもならない問題が多い。でも、古代からルネッサンス、現代にいたるまで、芸術の最たるものに裸体があり続けてきた。人は昔から究極的には裸体に最も魅了されてきたのではなかろうか。猫背だったり、腕周りとか、脂肪はどうにでもなる。そういうところを改善したり、食に焦点を当てて身体をデザインすることがお洒落につながるとはいえないのだろうか??夏にTシャツ、短パンでもカッコいい人はたくさんいる。
生まれ持った特徴がクリティカルに影響を与える、それを言い訳にしてもダサいだけだと思う。

21世紀に入って、どんどんテクノロジーが発達して、デバイスがいかに身体に近づくか(または身体のなかに組み込まれるか)が議論されてきた。失敗してるようにみえるけど、apple watchはその最たる例だったりする。モノが不必要とされる時代、なくなっていくのは自分の身体から一番遠いもので、最後に残るのは身体に密着しているものと言われている。つまり服などはやはりこの先しばらくは無くならないと思う。この観点で行くと、身にまとうものとしての服は非常に重要だ。でも、少し視野を広げてみると、身にまとうモノ以上に身にまとわせる身体そのものに焦点をあてることがもっと大切じゃなかろうか。身体を鍛えることは、どこか現代的じゃないし、古臭いようにも思える。しかし、どんなにテクノロジーが発達して外のデバイスに頼ることができても、身体は身体なんじゃなかろうか。最初に述べた承認欲求を満たしたり、自分をよく見せる最善の方法は自分自身の身体と精神の状態を良好に保つことだと思う。なぜなら、欲求の多くは人間関係で満たされるものであり、人はその人の魅力を身体と精神に見出すからだ。iphoneを持ってる人に魅了されたりはしないし、されてもそれは永続的ではない。


自分は思ったことをまずはやってみて、実際に結果を考察して、試行錯誤し物事に取り組むタイプだ。筋トレにとどまらず、食とか、背筋とか、あらゆることに目を向けてこの一年身体をデザインしてみたい。以前このブログで、精神と身体はつながっていて両輪のような役割をしていると述べた。身体をデザインして、良き身体(なにをもって良いと定義づけるか定かではないが笑)を手に入れることが良好な精神状態をもたらすのではないかと考えている。筋トレをして気持ちが晴れるのも経験則でわかる。

僕個人の当面の目標は猫背を治すことと、背筋と上腕筋をつけること。身体をデザインして、おしゃれをめざそう。夏までに短パンとTシャツだけでかっこいい姿でいられるように。
もちろん世間一般にいうお洒落な服も着ていきながら笑