良い旅を

旅と珈琲、読書を偏愛する者。

教育において理解度を決定づけるのは熱意というお話。

専門性を高めることが目的の大学院

1つの専攻(学科)で行われている講義は多様である。

例えば、機械工学専攻と言っても、流体力学構造力学、振動工学、熱力学、制御工学、材料工学、分子工学、etc.......と多岐にわたる。

何を言いたいのかというと、その道数十年のスペシャリストの講義など、自分の研究分野じゃなければ全然理解できない。 そしてつまらない。

しかし、昨日材料工学界の権威の講義は非常にわかりやすく、なにより面白かった。他の教授陣のクソつまらん講義との違いはどこにあるのか、内容が理解できる状況ってどのような時か、考えてみた。

先生の講義の上手さとか人柄にばかり目が行ってしまったが、、結局は受け手の学生次第という結論に至った。授業の理解度を簡単に要因別にあげたらだいたいこんな感じになる。(僕の経験則です)

学生側60%

-聞こうとする意思(集中力)40%

-内容を理解するための基礎知識20%

教授側40%

-わかりやすく(誰にでも)伝える意思30%

-指導力10%

この要因%で重要なことは、学生と教授の意思で70%を占めることだ。

「この先生の授業つまらん、わかりにくい」という言葉を言い訳に授業を聞かないことはよくある話だ。この場合、往々にして、教える側も教わる側もやる気をなくすので、一気に70%も理解度要因を失う。

この要因は、互いに影響を及ぼし合ってることが面白い。学生に熱意があれば教授の熱意も上がるし、逆もまた然りである。

 

良い授業、良い指導者とは?

私が考える良い指導者とは、学生の熱意、学ぼうとする意思を引き出す人だ。

講義が始まったばかりの頃は学生の意思が限りなく0に近くても、いつの間にかその講義内容について興味津々で学びたくてしょうがない状態に引き上げてくれる先生。

なぜなら、理解を深める目的は、学生がその知を将来何かしらの方法で活かすことであり、プレイヤーはあくまで学生にある。そう考えると、知を植え付けることではなく、学生の主体性を引き出すことが、学問、指導の目的なのかもしれない

ある分野に対して主体性が身につけば、自分一人で勝手に学び始めることもあるだろう。

 

昨日のわかりやすい講義は、まさに学生の意思を引き出すように仕向けられていた授業だった笑(教授の意図は不明)

この学問について知ってほしい、そして学生自身で探求して欲しいという言葉を交えながら、あくまで初心の者にもどうにかして理解して欲しいという先生の大きな熱意を感じる授業だったと振り返ってみるとわかる。

大学院の講義の一例から、先生と学生の関わり、理解度について考察してみた。

これまでの経験を踏まえても、わかりやすい授業は熱意のある先生による授業であったし、その自分で学ぼうとする意思が生まれて理解度が深まったことは間違いない。

学生のやる気を引き出すこと、子どもの主体性を身につけさせることの2点に関しては、大学院にかぎらず、むしろ小学校などのこどもの成長過程でこそ必要とされていることだと思う。先生が教えたことを受けて、こどもが自分で学び始める瞬間は教師にとって至福の時なはずだ。

 

PS. 20才を過ぎて、指導者ありきで自分のやる気が変わるなんて、全然ダメじゃないかというツッコミを入れたくなった。一方で、組織のマネージメントや教育もやっぱり先ほどあげた要因に行き着くのではないかと感じる。