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良い旅を

旅と珈琲、読書を偏愛する者。

その知識本当に必要ですか??

徒然なるままに思考

ここ数年ひたすら読書に勤しんでいる。年間200冊は読むようになった。

読書感想文を書くために年に1回本を読むかどうかだった10代が嘘のようだ。

知識量に応じて視野も広がる。分野の違うアイデアを掛けあわせると、新しい発想が生まれる。1つの知識が新しい好奇心を生み、また別の知識を得る。そんな好循環が現在進行形で私の中で起きている。

最近思ったことがある。結論から言うと、、

知識をうまく使うには勇気が必要だ

先日、産婦人科に向かう2人の高校生カップルに出くわした。どうやら生む決断をしたらしい。頑張ってほしいなー、そう純粋に思った。大人だって子をなくなく堕ろす人はたくさんいる。一方、その高校生カップルは生む決断をした。その差はどこだろうってふと考えた。要因はたくさんあるんだろうけど、先を見据えた想像力(知識)が高校生のほうが欠いていたことが幸いして、生む決断に至ったのかもしれない(失礼なのは承知です)。逆に大人は長い人生経験を持ち、子どもを育てる難しさを知っている。少なくとも、高校生達よりは。生むか堕ろすを天秤にかけた時、そこで考慮されるおもし(内容)は間違いなく大人のほうが重いはずだ。

 

無知が幸いして物事に挑戦できることって結構あるんじゃないか。

ここに宝島に向かう橋があるとする。

①「この橋の向こうの島は宝島です、あなたは億万長者になれます。」

②「この橋の向こうの島は宝島です、あなたは億万長者になれます。でも、橋を渡っている間に橋が崩れる可能性があります。」

①を言われた人はまよわず橋を渡るだろう。そして、何事もなく億万長者になる(死んでた可能性もあるけど笑)。

②を言われた人はまよわず橋を渡る人もいれば、いや待てよと躊躇する人もいるだろう。無知は時として幸いし、知識はときとして足かせになるんじゃなかろうか。

ソクラテス無知は罪なりと言った。私もその言葉を信じてやまなかった。盲信していた。でも、果たしてそうなのか。

読書の成果は本来長期的に現れるものだし、尺度もそれぞれだ。しかし、それを考慮してでも断言できる。私の知識量、思考量はここ数年で飛躍した。何かを考える際、あー昔はこういうこと考慮せずに行動していたなってことが山程あるし、それが自分の成長と感じていた。でも、宝島の例を頭で思いついた時、果たして蓄積された知識は有効活用されているのか?そう自問自答した。中途半端に知識を得て、それが物事に挑戦するストッパーと化してしまっているんじゃないのか?そんな知識だったらいらないほうがマシだ。無知故に後先考えずに挑戦したほうがマシなのかもしれない。

ただ、それが最適解ではない。得られた知識の一部が逆に自分の足枷となった時、どうするのか?

その知識を使いこなすだけの勇気が必要なんじゃないか。

読書をして、知識量、思考量を増やすことで、より物事を円滑に楽に進めることができるようになるとこれまで思っていた。でも、どうやら逆らしい。より多くの知識を持った状態で決断をするということは、これまで以上にその知識を使うためのエネルギーつまり勇気が必要とされるのだ。

 

最後に、私が好きな写真を載せておきます。示唆に富んだ画像です。知識を得た途中だと、世界の暗さを知るだけだけど、その先にもっと大きな世界が待っている。そんなことを教えてくれます。

 

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