良い旅を

旅と珈琲、読書を偏愛する者。

素人のFX(為替)投資の参戦スタンスについて

はてなから最近ブログかかんの?ってリマインダーが送られてきたので、久しぶりにブログを書こうと思います。

先日の大統領選でFXで一儲けさせていただいたので、そのお話を。

FXはハイリスクハイリターンだと言われます。これは9割本当で1割は捉え方次第だというのが私の考えです。後に述べますが、この1割のときのみローリスクハイリターンとなります(少なくとも私にとっては)。

リスクとは不確実性のことを言います。リスクを損失と捉えている人が多いですよね、昔は僕もそうでした。

つまりハイリスクとは不透明性が高いということ。その意味では、為替は金融商品の中で最もハイリスクと言えます。なぜなら、上がる下がるというどちらかの結果を導くのに無限のファクターがあるからです。

なんちゃって個人投資家の僕にとってこれは大問題です。FXはゼロサム・ゲームなので(手数料まで考えたら実質マイナスサム)、あらゆる情報に精通し、ディスプレイとがんじがらめになっている機関投資家をまともに相手しても絶対に勝てません。

だから基本的に僕はFX投資はしません。

しかし、今回の大統領選は違いました。

僕にとって、今回の11月8日はローリスクハイリターンの状況でした。

理由1つめ

それは、為替変動を左右するファクターが大統領選の結果一つだったからです。誰が当選するか2つから1つを選ぶのは、プロの機関投資家も我々素人も変わりありません。

だから、私がFXに参戦する時は、変動ファクターの数が限られた時と言えます。つまり、イベント時ですね笑

理由2つめ

また、全ての変動する株式、為替の価格は現時点からみた将来の予測を折り込んでいます。市場は折り込み済みとかたまに聞くあれです。

今回の大統領選がどのような状況だったかというと、

ヒラリーが大統領になる確率が高く、その場合ドル高に振れる

トランプが大統領になる確率は極めて低いが、その場合は大きくドル安になる

という状況でした。

そこで、11月7日前日の時点でヒラリー大統領誕生前提で為替価格が決まっていたと僕は判断しました。つまり、ヒラリーが大統領になっても円安に少し振れるだけで、トランプが大統領になった場合にのみ大きく円高になると判断しました。

これは僕にとってローリスク・ハイリターンだったんですね。円安には1円以内、円高には4,5円振れるとすると、円高に掛けるメリットが大きいですよね。デメリットとしては円高にふれる可能性が低いということでしょうか。

結果論ではありますが、これで実際に軍資金を増やすことが出来ました。

105.5円でショートポジションをとって102.5くらいで離脱しました。

世論では90円台にのるとか言っていましたけど、そうもいきませんでした(笑)

さて、僕のFX投資の参戦スタンスについてまとめると、

1、機関投資家と相対して、不利にならない状況でのみ参戦すること(注視する要因が限られている時

2、ボラリティーがある程度大きく、上げ下げの変動幅が大きくずれる(小さく下がって大きく上がる)と予測できるとき。

です。

 

ちなみに余談ですが、

大統領選当日だけ円高にふれて、その後円安に大きく動いているのはなんとも面白い話ですよね。どのアナリストも100円割れを予想していたのに、蓋を開けてみれば、トランプ氏への期待感という共同幻想のもと、お金をドルに投下しているのが現状です。ヒラリー推しで選挙前にロングでポジションとって、トランプ当選後にショートでポジションとった人を二重で損をすることになりましたね。世論に乗ると痛い目に会うと痛感させられますね。あー、為替って恐ろしい。

それでは、失礼します。

 

 

大問題にぶち当たったら問題解決能力より問題受容能力が問われることに気付いた

これは自分に向けた文章です。ただ、もし同じような境遇、不遇に立たされている人に届けば嬉しいなと思って書いてもいます。

僕はこの半年死んでいました。

もちろん、肉体的にではなく精神的にです。

僕は自己肯定感が非常に高い男です。一般的にネガティブな出来事が起きても、捉え方ひとつでどうにでもなると思っていました(今でもその思いは変わりませんが笑)。

buen-viaje.hatenablog.com

実際夏前にこんなエントリを書きました。今でも自分の思考法としてこのエントリに書いたことと変わりありません。

そして、一人でも生きていけると自負しておりました。

好きな本とノートとペンさえあれば、誰もいない無人島でも思索にふけることができる。

でも、どんなにポジティブに捉えようとしても、ダメだったんですね。

自分では普通だと思っていたんですが、まわりからすると気丈にふるまっていることがバレバレ。最近どうかしたの?と、会う人会う人に心配される始末。

そこで、すぱっと自分の悩みを告白できたらよかったんですけどね。

いや、むしろそこで他人に言えないからこそ不調に陥っていたわけです。

 

 そもそもの大原則として、人を破滅させるのは「1回目の失敗」(浮気、投資や事業の失敗など)ではなく、「2回目の失敗」(それを誤魔化そうとする行為)である、ってことをみんなよく覚えておくべきだよね 。

ちきりんの他眼思考より

そこからは負のスパイラルでした。

一度言えなかったことが、次のタイミングで言えるわけもなく。

課題を抱えたときに、初動で動く大切さを身に染みて思い知りました。

 

人が精神的に不調に陥るときって、どんな時だろう。

身内や友人の不幸、仕事がうまくいかない、対人関係でのストレス。

人それぞれに不調の要素は違うでしょう。

でも、不調になる段階はどこも似通っていると思います。

それは、目の前にある問題が自分の制御可能な範疇を大きく超えたときです。

電通で起きた過労死事件。自殺に至った原因を単純に長時間労働とするのは安易過ぎるという意見が散見されます。

そして、下のエントリを読んで僕はかなーり納得しました。

blog.tinect.jp

制御可能な範疇を超えるときって2種類あって

1.個人で解決可能な課題であり、自分の能力が足りない時

2.課題に利害関係者が複数存在して、自分一人の行動じゃどうにもならない時

ぼくが死んでた理由は後者でした。

自分一人じゃどうにもできないにもかかわらず、一人で思い悩んでいました。それじゃ前に進むことも、状況が好転することもありません。

長いどん底から抜け出すことができたのは、勇気を振り絞って友人に相談したことでした。その対話を通して、解決策が提示されたわけではありません。でも、自分の中で問題がうまく整理されました。久しぶりに人目をはばからずに泣いてしまいましたね。彼が僕のことをどのように思っているかわかりませんが、「自分は一人じゃない」、「応援してくれる仲間がいる」ことを実感したことがデカかったです。

生き返ったと冒頭に書きましたが、今回死ぬほど悩まされた課題を解決したわけではありません。

自分の心持ちに変化が現れて、大きな課題と捉えないようになったために回復しました。

今回自分に起きたことは、まあ例えるとこんな感じです。

突如として自分が進むつもりだった道に富士山級の山が現れた。山は動くことはありません。だから、山はあるもの捉え、迂回するなり登るなりして、山の向こうにたどり着かねばなりません。

僕は突如として現れた山にびっくりして、山の前で止まっていたような状態でした。

でも、今回友人との対話を通して、目の前に存在する山の存在を心の底から受け入れることができたんですね。山を登る覚悟ができたので、もう足を止める必要がなくなった。すると、一気に気が楽になりました。

 

長い人生、突如として予期せぬ問題が降りかかりこともあると思います。

自分の進む道を阻む石があれば端に動かせばいい(問題を解決すればいい)ですが、山が現れたら一旦立ち止まってしまうこともあるでしょう。

これまで培った価値観やプライドが、その問題を受け入れることを邪魔するかもしれません(ぼくがまさにそうでした)。でも、どんなに時間がかかっても、自分一人で解決することができないコントロール不可なものは、受け入れざるを得ません。

今回自分に新しい心の持ち方が生まれたのは、対話を通して他人の価値観にふれたことでした。自分にとって大問題は、他人の物差しではそこまで大きくないかもしれません。

他人に話をすることは、自分の頭の整理にもつながります。

何かに悩んでいる人がいれば、1cmでもいいから動いてみてください。

人に話すでも、いつもと違った非日常を体感するでも、読書をするでもいいです。

少しでも違った見え方ができればこっちのもんです。

どうしようもない問題を解決することばかりを考えていると、自分が疲弊していくだけです。ぜひ、その問題を受け入れる方向に目を向けてください。

問題解決能力より問題受容能力が大切なときもあるって知っているだけで、ちょっとは楽になる気がします。

 

 

結論も方向性もなく、ただつらつらを書いてみました。

10年後くらいにまた死ぬほど悩んでいる自分がいれば、このエントリを読み返して山の存在を受け入れろと感じてほしいです。

最後までありがとうございました。

 

たった2文字の口癖が運気を下げる

四半世紀ほど生きてきて、やっと気づくことができた。

それは、自分の口癖が相手に悪印象を与えていることだ。

その口癖とは。。。。。。

「まあ」と「いや」だ。

この言葉を使うだけで、運気が30%くらい下がる(あくまで直観ベース)

では早速二つの言葉について、考えてみたい。

「まあ」について

相手の意見に対して、

それいいんじゃないんですか?

まあ、それいいんじゃないんですか?

では大きな違いであることは、状況をイメージしてみたらすぐにわかる。

「まあ」という繋ぎ言葉から、聴き手は上から目線ややる気のなさを感じてしまう。

ただの繋ぎ言葉なのにである。使っている本人としては、相手への敬意を持っていても、その2文字で印象を悪くしてしまう。

コミュニケーションをとっている際に、つい間をとるために繋ぎ言葉として安易に使っているそこのあなた(と俺)、使わない努力をしたほうが賢明です。

下記のサイトでは、「まあ」が口癖の人の心理状況をまとめてくれている。一見の価値ありだ。

「まあ」が口癖な人の性格や心理

「いやについて」

つぎは繋ぎ言葉で使う「いや」について

これは僕個人の意見だが、理系出身の人の多くが「いや」という言葉を、何の意味合いもなく言葉の最初につけるクセがあると感じる。

自分の意見を持っていること、一旦あなたの話は置いといて私の意見を聞いてみてください、そんな心情が浮彫になる。

「いや~~、たしかにそうですよね~~!!」

などの発言を聞いたりしたことはないだろうか???

本人としてはただ肯定をしているつもりなんだろうが、聞き手としてはコミュニケーションの最初に否定をされているも同然である。気分が良いわけがない。

 

newstyle.link

 

自分の中では思ってもいないのに(しかも自分では気づかぬうちに)、相手に悪印象を与えることがある。言葉の魔力は本当に恐ろしい。

自分はそこそこの年齢にもなったにも関わらず、ありがたいことに言葉の使い方について先輩からご指摘をいただくことができた。

人を不快にさせる口癖をやめ、相手をハッピーにさせる口癖を使う習慣を身に付けたい。

自分が相手に対して好意を抱いていなくても、相手をハッピーにさせる口癖を使っているうちに良好な関係に変わっているってこともあるんじゃなかろうか。

地球おやすみ。

 

正直結婚相手選びに多大なリソースぶち込むの無駄ですよ

結婚生活の成功要因に、相手選びってそこまで大きな比重占めていないと思ったので、この題材で文章書かせていただきます。(笑)

 

ツイッターでキラキラ女子や婚活中の女性の方を見ていると、世の中本当に大変だなぁと思います。こちらとしては楽しくタイムラインを眺めていますが笑

ハイスペ男子、心地のよいパートナー探しは大切ですもんね。

しかも、数ある選択肢の中から選べるお相手はたったの1人。

そして、結婚出来る回数は原則1回(離婚しなければ笑)。

1回しか選択できないとなると、できるだけ条件の良いお相手を見つけたいものです。

上記のことが原因で、最近の婚活市場では、選択肢の最適化に躍起になっている人がめーちゃくちゃ多いなという印象を受けます。

ずばり、コンサル思考です。

コンサルタント思考とは・・・

数ある選択肢の中から現状を分析して最適な選択を導き出す。正解に最も近い選択を見つけるお仕事とも言えるでしょう。

一方で、

事業会社思考とは・・

決めた選択を正解に導くために試行錯誤しながらコミットするお仕事。

一般的に(僕の見解では笑)

コンサルタントの方が事業会社と関わるのは、企業が意思決定をするまでです。

つまり、企業経営や事業をどのポジションでスタートするのか、最もゴールに近いところ(選択の最適解)を提示してあげるのがコンサルタントのお仕事だと思っています。そして、一度企業が意思決定をすると、そこからは事業会社が必至にトライアンドエラーを繰り返し、ゴールに向かって突き進むというの一般的です。

コンサルタント不要論はなぜ起こるのか

コンサルタントの仕事は虚業だとよく言われます。

提示された方針通りにしたがって事業経営をしたのに事業が失敗したときなどです。

事業が失敗した原因をシンプルに洗い出すと、

1.企業の実行力不足

2.コンサルの提案(選択)がまずかった

2の選択が最適解じゃなかったというところにフォーカスしてみましょう。

これは僕の主観ですが、コンサルタントの方々は非常に優秀であり、提案の大半はその時の最適解であることが多いと思います。

最適解を選んだにも関わらず、なぜ失敗してしまったのか。

その時の最高の選択が時間の経過とともに、間違った選択と化してしまっているからです。そうなる理由は前提が時々刻々と変わっているからです。選択の良し悪しを測る物差しはいくつもの前提から成り立っています。時代とともに、その前提が変わっていく以上、状況に応じて良い選択なんて変わっていってしまうのです。

私は南場智子さんの「不格好経営」の一節が大好きです。

事業リーダーにとって「正しい選択肢を選ぶ」ことは当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要になる。決めるときも、実行するときも、リーダーに求められるのは胆力ではないだろうか。

長年マッキンゼー経営コンサルタントとして経営方針を打ち出してきた南場さんが、自分で事業を進める難しさを語った本の一節です。選択をやりきる力、成功に導くための試行錯誤の重要性を語っています。

不格好経営―チームDeNAの挑戦
 

 

良い結婚相手なんてその時によって変わる

やーっと本題に入れます笑。最もいい結婚生活を僕なりに定義させてください。

理想としてはコンサル思考で100点満点のパートナーを見つけ、価値観の変化に応じて臨機応変に試行錯誤しながら夫婦関係を維持することが理想だと思います。

でも、どうやら世の中の大半の人がこのように考えていないようです。下線を引いた前半の部分に注力し過ぎて、肝心の後半部分を忘れている気がします。

良い相手を見つければ、そのままずっと長続きするという幻想を見ているのです。

その時(今)の最適な結婚相手を見つけたとしましょう。しかし、少しでも前提が覆ってしまったら、良い結婚相手でなくなることなんてたくさんあるでしょう。

「昔は良かったのにこんなはずではなかった・・・」なんて夫や妻の愚痴を語る暇があるのなら、あの時と今ではどう変わったのか、前提が変わったのか、自分または相手が変わってしまったたのかを把握してください。

そして、夫婦にとっての新たな最適解を導き出してください。

企業は、時代の変化に応じてビジネスモデルと事業内容も大きく変えて生き残ってきました。

結婚生活、夫婦生活も似たようなものだと思います。

結婚を決断したときの価値観(基準)が一生揺るがないのであれば、ぜひコンサル思考で最適な結婚相手を見つけることにすべてのエネルギーを使ってください。

でも、実際には年齢の変化に応じて価値観が変わるように、パートナーに求めることや嗜好は絶対に変化します。

だから、夫婦円満な関係を維持することに努力はいらないと勘違いしている人は、結婚時が100点満点のスタートの場合、後の結婚生活が辛くなります。

 いっそのこと60点くらいの相手見つけて、そのあと100点目指したほうがよっぽど幸福度指数は高まるでしょう。

こんな身もふたもないことを言ってしまうと、、、

 「結婚を焦って失敗したらどうするんだ!」って反論絶対にありますよね...

そもそも失敗とはなんでしょうか? 現時点で夫婦生活がうまく行っていないとか、幸福を感じられないとかですよね。

そんな時こそ、事業会社思考です。

選んだ選択肢を正解に導く努力をしましょう。

今の恋愛結婚市場は、何も手を打たず、自分が苦労せずにどれだけ幸せを感じられるかを目指しているように感じます。そうではなく、ゴールに向かって注力してはいかがでしょうか??

決して最初から不幸になる選択をおすすめしているわけではありません。しかし、どんな選択でも自分の頑張り次第で軌道修正できます。だから、結婚相手選びでそんな躍起になるより、さっさと結婚生活始めてみてはいかがでしょうか?という、既婚男子からのお誘いでした。

 

 

最後に、昨晩寝る前に出逢った文章を載せて終わりにします。

きっと、同じ春が、すべてのものに同じ喜びを与えることは、ないのだろう。
なぜなら、喜びの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっているからだ。
冬をしっかり越さないかぎり 春をしっかり感じることはできないからだ。
それは、幸福と不幸のあり方にどこか似ている。

人はいつも、それぞれの光を捜し求める、長い旅の途上なのだ。
長い旅の途上 星野道夫より

長い旅の途上 (文春文庫)

長い旅の途上 (文春文庫)

 

 PS.夫婦生活に四季があるって美しいですよね。辛い時期も春を見据えて楽しみと化しちゃいそうです。

ちなみに、この文章は結婚生活がうまく行っていないであろう数年後の自分夫婦に向けた文章です。ぜひ、現状の幸福度に左右されるのではなく、事業会社思考で結果にコミットしてください。

 

現状糞ゲーでしかないポケモンGO、それでも流行る理由を考えてみた

twitterを覗いてみると、ついにポケモンGOが解禁とのこと。

半日時間を見つけてプレーしてみて感じたことは、

やべぇええ、おもしれーー!!

友達に報告すると勝手に承認欲求満たされてまうやないかぁ!!

と同時に、、、、

でも、冷静にこれ糞ゲーじゃね?

という2つの感情だ。

現状でポケモンGOが糞ゲーな理由を考えてみた

1.対戦ができない

私が知っているポケモンゲームの醍醐味は何といってもあのバトルだ。草むらでポケモンエンカウントして戦う。ポケモンをゲットするしないにかかわらず、まずは攻撃をしかけていたはずだ。そのあと、倒すかゲットするかの2択(実際には逃げるの3択)のどれかを選んでいたはずだ。

しかし、現状のポケモンGOときたら、、、、、

ポケモンと出会ってできることはモンスターボールを投げるだけ.....

個人的に、ゲームというのは、プレイヤーに選択肢が与えられていて、その選択によって違った結果が得られるから面白い。

その点、このポケモンGOというゲームは歩いてポケモンエンカウントしてボールを投げるだけ。

バトル要素もほとんどないため、レアポケモンにどれだけ出会えるかが面白さの比重の大半を占めている。

そして、レアポケモンに出会えるかは基本運。

つまり、ポケモンGOはただの運ゲーであり、糞ゲーなんじゃないか?と考えてしますのだ。

 

2.地域格差がありすぎる

ポケストップがどれだけあるかってどこに住んでるかで大きく変わるってどうなの??

私が住んでいる九州地方も東京と比べると雲泥の差があるだろう。

全然歩いてもポケモンでねーよ。

 

 

 

3.サーバーが重すぎる

 これは一過性の問題かもしれないけど、サーバーに不可がかかりすぎて全然アクセスできない。ポケモンモンスターボールを投げてもその場で止まっちゃう。

そもそもアクセスできないってゲームとして成り立たないし。。

 

それでも面白さを感じる理由

1.ポケモンというコンテンツの強さ

久しぶりに出会うポケモン。しかも、初代。懐かしさを覚えずにはいられない。

小学生の頃にゲームボーイでやりこんだあのポケモン達が帰ってきた!

それが現実の世界で道端に現れる。

久しぶりにやるポケモンってだけで、実は結構テンションが上がっていたりする。

ポケモンってコンテンツの高さを思い知らされます。

2.現実とバーチャルの融合を実現していること

身体を動かすこと。これが実は重要なんだと思う。

イスに座っているだけでこれまでの大半のゲームは完結していた。

しかし、今回は実際にポケモントレーナーとして、実際の世界を舞台にポケモンと出会うストーリーだ。(ストーリーなんて今のところまったくないけれども笑)

実際にはポケモンなんて目には見えないけれど、これまで完全に現実世界とは分離していたポケモンが身体移動によって現れたりする現象は新鮮な経験そのものなんだろう。

これから位置ゲーというものは流行るのではないだろうか?

3.共通の話題、そしてその規模が尋常じゃない

少しでも珍しいポケモンに出会うと、まわりの友人に報告したくならないだろうか?

共通の話題として誰とでも盛り上がれること。

ちなみにテスト目的で一部のユーザーに限定配信された時は、非常に不評だったとのこと。しかし、実際にリリースされるとこれだけの盛り上がり。

その理由は、共有相手の規模によるものではなかろうか?

自分がレアポケモンをゲットしてもだれとも共有できれなければ、面白みに欠ける。

日本人特有の共通の話題で盛り上がれる能力、他者に物差しを委ねていることをポケモンGOで垣間見えている気がする。

さあ、みんなに自分のポケモンGOの進捗を報告して、自分の承認欲求を満たそう!

今後の予想

任天堂はあえてこの糞ゲーの状態でリリースした、というのが私の予想だ。

コンテンツは豊富に用意しているけど、先を見据えて小出しに内容を充実させていくと思われる。

冒頭に述べた糞ゲー要素も次第にアップデートを経て改善されていくものと見られる。

友人と対戦可能になったり、道端で出会うポケモンとも対戦可能になるはずだ。

 

ポケモンGOはビジネス面で大きな可能性を秘めている。

素人の私でも、いくらでも新しいビジネスを思いつけるくらいだ。

個人的には、伝説のポケモンは日本でしか出ない設定にして、インバウンド効果を狙って欲しい。具体的には、サンダー、ファイヤー、フリーザーを関東、北海道、九州あたりにセットして、外国人に日本周遊してもらいその土地土地にお金を落として行くシステムを作ってもらいたい笑

 

懐かしさと同時に、位置ゲーという新鮮さも感じられるなかなか面白いゲームだと思う。

現状糞ゲーだけど、神ゲーになる原石

それがポケモンGOなんじゃなかろうか?

堀江貴文「本音で生きる」読了

ちょっとしたベストセラーになっていた堀江さんの「本音で生きる」をささっと読んでみた。彼の書籍はこれまでに何冊か読んだこともあり、毎回刺激を受けていたし、今回も楽しく読ませてもらった。

 

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

 

 

堀江さんの本を読んで毎回感じることは、彼も人間だということ。嬉しい、悲しいという感情も僕らと同じように存在している。では、私達(勝手に私達としてすみませんw)と彼の行動力の違いはどこから来ているのか?

それは、、

人生が有限であることの自覚、時間

堀江さんにとって人生で最も大切なものは、お金ではなくて時間だ。

私だって時間が貴重であることくらいは心得ている。でも、その自覚が行動に移っていない。一方で、堀江さんは時間が最も貴重であることを行動で示している。この本を読んで、自分はまだまだ時間が資源だ、貴重だなんて言えないことがわかった。行動で時間の貴重さをまだまだ示せていないからだ。

 以下、印象に残った文章を引用したい。

議論は平行線でいい

「We agree to disagree」( 僕達 は わかり 合え ない こと が わかり 合え た) で よい の だ。「 価値観 や 意見 が 違う」 こと が わかる こと が 大事 なの だ。

堀江 貴文 (2015-12-04). 本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書) (Kindle Locations 280-281). . Kindle Edition.

 

 考えが人と同じである必要がないことを覚えるだけで、僕らの人生は一気に楽になる。そして、自分がやりたいことにエネルギーを注げるようになる。

自分の時間は自分のもの

  以前 執筆 し た『 ゼロ』( ダイヤモンド社) でも 書い た が、 時間 には「 自分 の 時間」 と「 他人 の 時間」 が ある。 今、 自分 が「 自分 の 時間」 を 生き て いる のか、「 他人 の 時間」 で生き て いる のかを、 常に 意識 し て おく こと が 必要 だ。 その 視点 から 見 て、 今 の あなた は、 どの くらい「 自分 の 時間」 を 生き て いる だろ う か。

堀江 貴文 (2015-12-04). 本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書) (Kindle Locations 821-823). . Kindle Edition.

彼の人生から最も学べることはやっぱりこの時間についてだ。1日24時間のうち、どれだけ自分の時間を生きているだろう。そして、どれだけの時間を他人に注いでいるだろう。自己犠牲や他者貢献が賞賛される時もあるが、それも自分あってのものだと思う。自分の価値を高めて、その価値を認めてくれる人、自分を利用してくれる人が現れてくれたらいいなというスタンスが僕が目指したい生き方だ。

  以前 執筆 し た『 ゼロ』( ダイヤモンド社) でも 書い た が、 時間 には「 自分 の 時間」 と「 他人 の 時間」 が ある。 今、 自分 が「 自分 の 時間」 を 生き て いる のか、「 他人 の 時間」 で 生き て いる のかを、 常に 意識 し て おく こと が 必要 だ。 その 視点 から 見 て、 今 の あなた は、 どの くらい「 自分 の 時間」 を 生き て いる だろ う か。

大事なのはGive,Give,Give

  これ ほどまでに なん でも 得 られる 恵まれ た 社会 で、 一つ だけ 心がけ て おく べき こと が ある。   それ は、“ Give, Give, Give”。 つまり、 惜しみ なく 人 に 与える という こと だ。   僕 は 昔 から、 与え られ た 以上 の 価値 を 必ず 相手 に 与える よう に し て いる。 仕事 で いえ ば、 無茶 に 思える 依頼 で あっ ても、 知恵 を 絞っ て 取り組み、 相手 の 期待 以上 の もの を 仕上げ て き た。

ビジネスの基本はもらったお金以上のものを提供すること。これは、仕事以外でも変わらない

これは自分の時間を生きることと一見相反するようなことだ。でも、彼にとって自分の時間を費やす延長線上に他者貢献があるのかなと思った。

まとめ

堀江さんの人生ってどこか現実離れしている。

でも、行動原理は至ってシンプルだ。自分の時間を大切にすること。それを行動で証明すること。そして、その行動で社会を豊かにして、他者に貢献すること。

これって、むしろ我々凡人がやるべきことではなかろうか?

やっていることは大胆で一見奇抜に見えるが、彼の行動の根底にあるのは人生を最適化するというシンプルなものであることを垣間見た一冊だった。

 

 

価値を与える張本人になると、無駄な出来事が人生から消えるってお話

一昨日配信された高城未来研究所のメールマガジンでのQ&Aで非常に感銘を受けたフレーズがあったので、まるごと引用して紹介したい。


▽Q.16▼▽
高城先生、こんにちは。
9月に3泊4日の台湾旅行に行ってまいります。
高城先生はよく、初めての土地は観光名所をまわること、と回答されていますが、台湾でいうとどの辺りになりますでしょうか?
台北101などは確かに観光名所なのでしょうが、高いところから台北市内を見るだけのことに、行く価値がイマイチ見いだせません。
もしくはかなり風水を意識した外観とのことなので、それを感じに行く価値はありますでしょうか?
また、西門町は若者文化に特化した街のような印象ですが、ここも見る価値ありますでしょうか?
九フンも、あまりに観光地化されすぎてあまり触手がのびません・・・。
また、台湾の外食産業を日本に取り入れ事業展開が出来たらいいなとも漠然と思っております。
例えば、日本でお粥カフェを病院近くやオフィス街、飲屋街などで展開出来れば需要が見込めるのではないかと思っております。
高城先生の台湾に関する知識、ここは行っておいたほうがいいよ、などございましたら是非ともご教示ください。
Life Packing2.1も楽しみにしております!

【 A 】
これは、不思議なご質問です。
どうやら、「台湾の外食産業を日本に取り入れ事業展開」することをビジネスとしてお考えのご様子。
それなのに、台湾でビジネスとして成功している王道の観光地を、「行く価値がイマイチ見いだせない」とは、実に不思議です。
好きか嫌いはさておき、なぜ成功したのか、自分なりに考えることは、なによりもの価値のように思います。
また、僕は、どんな場所でも行かないより、行く価値があると考えています。
少なくとも「行ったけど、価値がなかった」という大きな価値を得られる者だけが、本当に価値がある場所にたどり着けるからです。
いま、お考えになるのは「台湾の外食産業を日本に取り入れ事業展開」する以前に、誰もが知っている場所の「行く価値」をご自身が見つけられるかどうかだと思います。
言うまでもなく、観光地として成功したのはそれなりの理由があるからで、その「価値」がわからない間は、安易にビジネスをはじめないほうがいいでしょう。
そうしないと、開業できても多くの人に「行く価値がイマイチ見いだせません」と、言われてしまいますよ。 

 この太字の部分を読んだ時、頭を後ろからガツーンと叩かれた気分になった。

一般的な尺度では価値の無いものも、自分の物差しを使って価値を与えてあげることが大切だと勝手に捉えさせてもらった笑

たしかアドラー心理学でも似たような考え方をして、この考え方を「意味付け」と呼んでいる。

挑戦して失敗した。そこで落ち込むのではなく、その失敗に価値を与えてあげること。

人生はあらゆる出来事の連続だ。時には自分にとって良くないことも起きるだろう。その挑戦を糧にするのか、失敗を価値ゼロとしたままにするのか、悪い出来事への対応の違いがその人の未来を大きく変えるのではなかろうか? 

「ピンチはチャンス」は本当にその通りだと思う。

成長する機会を与えられている以外ほかならない。課題が明確で、目の前にできないことがあるのだから。人は事の大小を問わず、できないことができるようになると、自己承認欲求が満たされる。そこに他人の物差しは必要ない。できないことをポジティブに考える思考、つまり失敗や良くないことにも自分で価値を与えてあげる。そんな思考法で生きていけば、すべてのことが成長の糧であり有意義なものになる。

ポジティブ思考って、見方を変えれば物事を自分の都合の良いよいに捉えることだよねって結論に至った。でも、他人に迷惑をかけないのであれば、それでいいんじゃなかろうか?

捉え方一つで目の前の出来事に価値が生まれ、自己成長に繋がるのならそれでいい。

他人の尺度で判断するとマイナスにしか捉えられない出来事も、自分の物差しを使えばプラスに捉えることができる。

このブログを書きながら、僕はプラスしかない物差しを使って人生を歩みたいと思うようになった。